ペアリーロード稲城商店街パンフレット
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9れていて、平成の最初頃は100軒ほどのお店が登録していました。1991年にはキリンのモニュメントが作られ、「ペアリーロード稲城商店街」と改名しました。 商店街の姿が少しずつ変わり始めたのは、大型店が出店してからです。1977年に忠実屋(現在のグルメシティ稲城店)ができる際は、商店街の店主たちが集まり、個人店が生き残るための話し合いをしていたといいます。けれど残念ながら時代の流れには抗えず、生鮮食品を扱う八百屋や魚屋が姿を消していきました。 現在は39軒のお店が登録しているペアリーロード稲城商店街。市内の商店街の中では登録店数は多い方だそう。稲城市内の商業活性化と空き店舗対策事業として、稲城市商店会連合会が主催するレンタルボックスショップ「あい i ショップ」がオープンするなど、新しい施策も打ち出しています。 商店街の姿は変わりましたが、地域の人との温かな交流は変わりません。 中学生だった子が大人になったら、「いつか内山大賀堂さんではんこを作りたいなと思っていました」と訪れてくれるなど、うれしい思いをしたそうです。地域の人にとって商店街はいつもその場所にいてくれる存在。暮らしの中に溶け込み、長く愛され続けています。株式会社タカハシ・ミュージック・プラザ 高橋渡さん福島県出身。上京後、音楽好きが高じて楽器店を開業。音楽教室・楽器販売・修理・調律なども運営。地域活動にも参加し、レンタルボックス「あい i ショップ」(稲城市商店会連合会主催)のHP作成支援などを行う。創業45年を迎えた現在は、「フルーリール・ムジカ」、「向陽台ミュージック・バルーン」、「京王稲田堤総合音楽センター」など音楽教室や楽器ショールームなどの店舗の経営を手掛ける。また、稲城市商工会、市商連の役員として稲城市のまちの経済活性化のために積極的に行動している。内山大賀堂内山政男さん福島県出身。終戦直後から福島県内で印鑑職人として働き、日本橋堀留でゴム版などの作成に携わる。その後、独立して稲城市で内山大賀堂を開業。以来奥さまと二人三脚で経営し、印鑑の販売や印刷などを手掛ける。内山さん自らが彫る手仕上げの印鑑は開業当時から好評。商店街を活性化させるための活動にも熱心で、他の商店街とともに商工会で新聞の発行にも参加している。

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